人ありきの組織が殺すAIの可能性

YouTubeでAI活用の動画を見ていると、妙な偏りに気づきます。「パワーポイントを作らせよう」「資料を自動生成しよう」といった内容ばかりなのです。

なぜAIは「人間のための資料作成ツール」としてしか語られないのでしょうか。

AIの見方が根本的に違う

問題の本質は、AIに対する捉え方の違いにあると思います。

実は、AIの使い方には3つのパターンがあります。

1. 組織の中でAIを使う人

組織の中で使うとなると、結局は人のための資料作成や、会議での説明資料といった用途がメインになってしまいます。

2. 一人だけど人間と相対して仕事をする人

個人事業主やフリーランスでも、クライアントへの説明や取引先との調整など、最終的には人間との関係性の中で仕事をしている人たちです。

3. ワークフロー自体がAIで完結している人

AIとの作業が人間との相対なしに完結する人たちです。

AIの真価は「人間ができることを素早くやる」ことにあります。その間に人間が挟まってしまったら、AIのバリューは最大化できません。

1番と2番の人たちは、結局のところ同じ制約を受けます。人間に説明するための資料が必要になり、「AIに資料を作らせる」という発想から抜け出せません。

真にAIの恩恵を受けられるのは、3番のワークフロー完結型の人たちです。どれだけ人とAIをうまく融合させるか、自分のワークフローをAIでどれだけ高速回転させるか、という視点になります。

組織外への責任ゲートウェイ

では、なぜ組織では無駄な人間の承認フローが生まれるのでしょうか。

実は、人間がチェックしなければならないのは「最終的な段階」、つまり組織外に何かを出す時だけです。AIには法的責任能力がないため、組織外との境界では、必ず人間がゲートウェイとして機能しなければなりません。

ところが、多くの組織では最初から最後まで人間の承認を求めてしまいます。組織内での作業にまで、同じような承認プロセスを適用してしまうのです。

組織の境界まで人間チェックは不要なはずなのに、組織内で作る資料にまで人間の承認を求める。これが無駄の正体です。

責任のキャッチボールという病理

この無駄が生まれる理由は、「責任のキャッチボール」にあります。

大企業では、責任を他の人間に投げつけたいから資料が必要になります。まず自分のやったことの資料とエビデンスを作り、誰かが「いいよ」と言ったら、その人に責任が移る。この責任の転嫁システムから逃れるために、資料作成が必要になるのです。

つまり、大企業の資料作成は情報共有のためではありません。「私はちゃんと資料を作って説明しました」「私は承認しました」という証拠作りなのです。

この責任のキャッチボールは、人間が法的な責任主体である以上、完全になくすことはできません。しかし、人間がいなくなれば、この責任のキャッチボール自体も消失します。

ワークフロー完結型の圧倒的な優位性

ワークフロー自体がAIで完結している人は、まったく異なるAI活用が可能です。

責任のキャッチボールが存在しないからです。

この場合、AIが作った成果物の責任は最終的にすべて自分が負います。誰かに承認をもらう必要もなければ、プロセスを説明する資料も不要です。

ワークフロー完結型の場合、こうした責任のキャッチボールが一切発生しません。

組織構造が決める格差

現在のAI活用動画が資料作成に偏っているのは、多くの視聴者が組織で働く人だからです。彼らにとって、AIは既存の非効率なシステムを少し楽にするツールでしかありません。

一方で、真にAIを活用している人は「責任のキャッチボール対応」ではなく、「ワークフローの高速回転」にAIを使っています。

この差は技術的な理解度の問題ではありません。組織構造の違いが生み出す、根本的な活用方法の違いなのです。

あなたはどちらの世界にいるのか

重要なのは、自分がどちらの世界にいるのかを理解することです。

組織の中にいる人は、どうしても責任のキャッチボールから逃れられません。一人でも人間と相対する仕事をしている人は、結局同じ制約を受けます。しかし、ワークフロー自体がAIで完結する仕事では、圧倒的な優位性を持ちます。

「AIが使えない」と感じる人の多くは、結局のところ組織の制約の中にいる人なのです。

どれだけ高性能なAIツールを導入しても、組織の見えない構造に縛られている限り、真の恩恵を受けることはできません。AIの可能性を最大化するためには、まず自分がどちらの世界にいるのかを理解することから始める必要があります。

私たちは今、働き方の根本的な分岐点に立っています。AIの真価を理解し、組織の見えない構造を見抜いた人だけが、次の時代の恩恵を受けることができるのかもしれません。